東播州
バス釣り 黎明期

原初の時代

子供の頃、竹竿で近所の川でよくフナを釣った。
中学に上がるとグラスロッドを買ってもらい、池や川へと良く行った。
釣るのはへら鮒、鯉、ワカサギ、ハス、鮎、日本の淡水魚なら何でもである。
釣ったものは大抵食べる。
実はバスも中学生の頃、室池で一日に何十匹とフナの仕掛けで釣っている。
「外来魚らしけど、食べれる」と、持ち帰りフライにして食っていたのだ。
その頃は名前も知らなかった、それが後にブラックバスだと親父に言われるまで気付かなかった。

そしてブランクの後。
やはり俺様がバス釣りを始めたのは遥か昔のことである。
世の中の釣具屋にはラパラのルアーと一部のアメリカンルアーしか売ってなく、
バスの雑誌などはとんと見かけない頃である。(んな訳ないやろとタッチーは言うが、ヤツは子供だったので知らないことだ。きっと。ホントに。)
俺様はベイトのロッドにスピニングリールを付け、いつも池のど真ん中へ何やら重たいルアーをブン投げていた。
とにかく遠くへ飛ばすのが良いと考えていた。
池のど真ん中で、大きな水柱が立ったとよくタッチーが懐かしく述懐する。

そして、カタカナだらけの本は読めないので、バスと言うものが分からないまま、釣りから遠ざかっていた。
(今でも思うことだが、バス雑誌は必要以上にカタカナ英語が多すぎると思う。
ウィードなどと言わず「藻」と言えばいいし、ワンドなんて「入り江」、ジャークだトゥィッチだベイトだストラクチャーだ酷過ぎるぜ)

次にバスを始めたのが2000年5月の下旬のことである。突如、バスにはまったタッチーに連れられ陽平と共に青野ダムに連れて行かれた。
バスは釣れない。これがこの15年の俺様の経験則である。
小雨の中、俺様はポッパーでポコポコとウィードの横を通していた。すると何やら黒い物体がルアーにひかかって来た。これがバスだと気付くのに随分時間がかかった。岸に寄せてきて始めて魚だと気付いたのだが、緩慢に寄せたせいかバレてしまった。しかし、その時の魚がバスであるかどうかは、まだ分かっていなかった。実はバスと言うものを見たことがなかったからだ。

2000年6月19日
この日、タッチーと陽平と三人で東播へ行く予定であった。しかし、タッチーは具合が悪く、陽平と二人で出かけることになる。
近畿高速を滝の社インターで降りて、コンビニへ向う陽平。情報を仕入れるためだと言う。そこで偶然、釣具屋の店長と出くわした。愛想の良い陽平は話し掛け、釣れる野池を数箇所教えてもらった。15年前の俺様にこんな技が使えれば釣り人生は変わっていたかも知れない。
俺様はすごくシャイなのだ。

朝の4時半、教えてもらった野池に辿り着いた。
俺様はそれまでの釣り人生の教訓として、流れ込みで釣り始めた。釣り始めて30分ほどであろうか、いきなり物凄い引きを感じた。
上がって来たのはでかい黒いものだ。
「鯉や」
俺様は少しがっかりした。
しかし、口を持つと途端に鯉とは全く違った姿になったではないか。
馬鹿でかい口である。大口黒マスといわれる通りの姿がそこにあった。
「バスやった」
俺様は陽平を呼んだが、遠くで来てくれない。仕方なくメジャーを当ててサイズを測り写真を撮った。
初ヒットは43センチであった。
バスとはこのサイズが普通だと思った。何せそれしか釣ったことがないからである。

この日、もう一つの池でオーバーハングで20センチを一匹。陽平は坊主であった。先ほどの43センチに比べて20センチはカスのような引きであった。

ルアーはゲイリーの5インチ・センコーのノーシンカーである。これは先週、テレビの釣り番組で釣れると言っていたワームの受け売りである。そして、夏場の流れ込みと早朝一番。
キーワードはこの三つで、俺様はその年の夏、40アップを一人占めした。

2000年6月23日
次にこの地を訪れた時、タッチーとマイ・ハニーのトレーシーが加わった。
池は前回20センチを釣った野池。前回とは反対岸へ出向いた。まだ空け切らぬ空の下、俺様は水の音のほうへ駆け出していた。
トレーシーが石を抱えて着いて来る。恐いので変わりに網を渡した。
流れ込みの横、アシが岸際に生えている。その横をアームズの3百円のポッパーを引いた。音を出すと言うことも知らなかったと思う。
すぐさま、激しい引きを感じた。格闘の末、岸へ寄せたが段差がある。前回はズルズルと引き上げたが、今回は無理のようだ。網を持ったトレーシーは少し離れたところにいる。仕方がないので初めてバスの口を持って引き上げた。
45センチのバスである。
やっと来たトレーシーに記念写真を撮ってもらった。
次に投げると、またすぐさまヒットした。同じような興奮のファイトである。
引き上げてサイズを測ると先程と全く同じサイズ。同じ魚を釣り上げたと思い、写真は撮らなかった。そんな訳はないのであるが・・・しばらくそう思い込んでいた。それ程、無知であった。

当たりが止んだので、先日活躍した5インチセンコーに変える。とたんにまたヒット。
次も同程度のサイズであった。
この日はその後、池を変えるが大雨となる。タッチーと陽平はやはり坊主であった。

なんとなく魚河岸である。 バスの持ち方も良く知らないので、変。

2000年7月23日
この日はタッチーとヨッシーと小野市の三段池へ。
前回東播からひと月、俺様は3度行った奈良の野池でも活躍していた。ひとり坊主なしである。向うところ敵無しである。
またもや星の出ているうちから流れ込みの水音を頼りに藪を漕いで行った。タッチーは車で夜明けまで寝るといった。ヨッシーは藪が嫌だとついて来なかった。
闇の中、藪を漕ぐのは危険だが、狩猟本能の血が騒ぐのだ。そして、何度もなんどもクモの巣を浴びた。

このひと月で色々なルアーを憶えた。雑誌も少し読んでみた。
真っ暗なので、流れ込み横で、ノイジーを投げた。 いきなり強力なアタック。しかし乗らない。フックカバー付だった。真っ暗闇で何も見えなかったのだ。
それから夜明けまで、30前後のサイズが7匹。ノイジーやポッパーにガンガンと出た。
着水と同時にアタックといった感じである。
日が昇った頃、当たりが止まった。ようやくヨッシーとタッチーがやって来た。しかし、先程のようにはもう釣れない。
俺様はその場所をヨッシーに明渡し、別の流れ込みを探し、そして見つけた。
対岸でタッチーが小バスをやっと釣り上げた、すると俺様の竿もいきなりしなった。
ノーシンカーの5インチストレートであった。物凄いジャンプを繰り返す。 何度も竿先を水面に叩きつけた。そうしないとバレてしまうからだ。
やっと上がって来たのはジャスト40センチであった。しかし、これまでで一番引いたかも知れない。
見ると竿先が折れてしまっていた。
その後、車の中で俺様のもう一本のロッドの先もヨッシーのケツで折られてしまった。嘆いていると
「ええやんか、あんだけ釣ったんやから」
とタッチーが不機嫌そうにブチブチと言う。
この頃は、釣って肩身の狭い思いをよくした。
俺様は6月以降、常に爆釣モードであったが、高い鼻もお盆の頃にへし折られることになる。
盛者必衰の理なのだ。

陽平の初めてのバス。二ヶ月目にして初ヒット。

2000年の陽平と秋からの釣り

陽平は忍耐強かったというか、付き合いが良かった。全く釣れないのに毎回同行してくれる。ひと月後、小バスを初ヒットした後、そこからまた全く釣れなかった。しかし変わることなく、毎回付き合ってくれていた。
ヤツの不満エネルギーが天に届いたのか、ある夏の朝、木津川で陽平はその年、二匹目バスを釣り上げた。しかしとんでもない大きさだった。
木津川の大河原にある流れ込み。
ずーっと釣れないで付き合ってくれている陽平に感謝の意を込めて、その日、そのポイントを陽平に譲って、俺様はゴロタ石の方で釣っていた。
ヤツはビッグバドを引いていたという。
ミディアム・ライトのスピニングに俺様が貸した10ポンドの太いラインの巻いたリール。もしかして、ラインが通常の6ポンドくらいなら上がらなかったかも知れない。
その52センチのバスを見た時、俺様は自分の仏心を呪ったものだった(俺様がそこで釣りをしたからと言って釣れたかどうかは別であるが、とりあえずは邪魔が出来たではないかっ!!)。

かくして、俺様はお盆を境にその年、凋落の一途を辿ることになる。
夏が過ぎ、今まで「早朝流れ込み」のパターンが効かなくなったのだ。
工夫をしない釣りをずーっとしていたせいで、パターンも分からなければ、釣りの幅もない。従って秋からは俺様はボロボロとなった。
俺様に釣り負けていたタッチーは、パターンや釣り方を必死に勉強してそれなりに釣れていたかも知れない(獣の事はどうでもいいので知らない)。ベイトリールで釣り始めたヤツは、釣りをしないで、バックラッシュしたラインを直してばかりいたような気もするが・・・・・
そして陽平はビックバス以降いつも通り釣れなくなった(これは断言できる)。
俺様は、初めて釣り雑誌を読み漁った。リグとかパターンとか考え始めたのである。

夏以降、初めて釣れたのが11月、愛しのトレーシーと琵琶湖へドライブへ行った時である。
俺様はトレーシーに頼み込み、夕方の30分南湖、鉄橋下で釣りをした。
ディープクランクをウィードの中で引き、ウィードを千切っては止めを繰り返しての一匹である。
夏頃には記念撮影も撮らなかったであろうサイズだが、すごくうれしく
「写真を撮りに来てくれ」
と、車で昼寝をしているトレーシーを叩き起こしたくらいである。
写真では口にフッキングしているが、これは実は体当たりしてきたバスで、スレ掛かりであった。
二ヶ月ぶりの、秋の貴重な一匹であった。
それからはサイズにこだわるのはよそうと思ったのは言うまでもない。(と言うのはウソ)

   
貴重なビワバス 陽平、奇跡(のみ)のデカバス。

 

東播には2001年は二度ほど、2002年も三度ほどしか行かなかった。下は釣果。


02.5.3小野市平池
ワッキー


02.5.3小野市平池
ワッキー

 02.6.9小野市不明
バイブレーション

02.10.6小野市野池
ジャンボグラブ by タッチー

02.6.9平荘湖
ダウンショット

2000年は二匹と低調に終わった陽平だが、01年はその大物釣りぶりを発揮。
俺様が風邪気味で車でうたた寝をしているうちに、ライギョ、ナマズと次々と釣り上げられた。しまったである。
      01.5.2小野市平池
バイブレーション
01.5.2小野市平池
バイブレーション

 

 

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